旅行者のカメラ。日本の技術(デジカメ)が世界を変えた
私がフィルムカメラを持って中国やモンゴルを旅行した2001年には、デジカメを持った旅行者は全く見かけなかった。
撮影可能枚数やバッテリーの制約がまだまだ大きかったせいだろうか? 旅行先で代替のバッテリーや記録メディアを入手するのが難しい(国によっては不可能)状況だったせいだろうか?
それともやはり、画質だろうか。その当時一般人が購入できるようなデジカメは、画質がフィルムカメラに全く及んでいなかったから。せっかくの海外旅行なんだから、いいカメラでいい写真を撮りたいという人は多いだろう。
私はぶれずに写っていたらとりあえずOKという感じだ。キレイな方がいいけれど、利便性優先。
現像するまでどんな写真が撮れたかまったく分からないフィルムカメラに比べると、撮ってすぐ液晶で確認できるデジカメの利便性は素晴らしい。撮影枚数、バッテリー、画質に問題がなくなれば、そりゃあ便利な方がいい。小さくて軽くて頑丈で撮りやすいデジカメ最高。
さて、1つ前の記事で書いたように、モンゴルでフィルムカメラを壊してしまってから、私はタフなデジカメを旅行に持っていくようになった。
私が初めてデジカメ(GV-20)を持って旅行したのは2002年の夏だ。富山からウラジオストクへ渡り、ウラジオストクからモスクワへ一週間、シベリア鉄道に乗った。それからロシア、北欧、バルトの国々、東欧を歩き回った大旅行だった。
旅行中に出会った現地の人たちはまだ、デジカメという存在自体を知らない人が多かった。ポラロイドでもないのに撮った写真をすぐ見られることに、あちこちで驚かれた。
ウラジオストクの女の子。デジカメで撮ったこの写真を見せてあげると、とても驚いて喜んでくれた。ポラロイドのように、その場で写真を出してあげられればよかったのだけれど。
この写真を見ると、その当時2ちゃんねるにハマっていたことを思い出してちょっと恥ずかしい……。
このロシアのウラジオストクからモスクワやペテルブルグ、北欧の4国、バルト3国、東欧の国々と旅行していった。
道中で多くの旅行者に出会ったが、やはり旅行者でもデジカメを持っている人は少なく、ほとんどの旅行者はまだフィルム付きカメラを使っていたように思う。
2年後の2004年。私は東南アジアを旅行した。
ラオスのフアイサイ~ルアンパバンの船で出会った韓国人だ。映画を撮ると言っていたのだが、どうなっただろうか。
写真の彼が持っているのもデジカメだ。この時期になると、かなり多くの旅行者がデジカメを使うようになっていた。とはいえまだフィルムカメラを使用している旅行者も、ちょくちょく見かけた。
2006年のミャンマー、バガン。この頃になるともう、カメラといえばデジカメという状態になっていた。フィルムカメラを持っている旅行者はいただろうか? 私の記憶にはまったくない。現地の人たちも皆もう、デジカメのことを知っていた。
写真を撮ったらすぐに「見せて見せて」とよってくる。撮ってすぐに画像を見られることを、もう知っているからだ。そしてその後に「写真撮らせてあげたんだから、何かちょーだい」が始まったりもする……。
この後はもう、フィルムカメラを見かけることはかなりレアなケースになっていった。プロのカメラマンのような人たちがフィルムカメラを持っていることは稀にあったが、やがてそういった仕事でカメラを使う人たちも、どんどんデジカメに移行していった。今ではフィルムカメラは絶滅危惧種になっている。
フィルムカメラを知らない人たちも多くなっているんじゃないだろうか。フィルムカメラでそういう人達を撮ったら、液晶で画像が見られないことを不思議に思うかもしれない。
旅行者の使うカメラは、ほんの短い年月でフィルムカメラからデジカメにすべて変わってしまった。私が旅行を始めた2001年からだと、5年後の2006年にはもうほとんど皆がデジカメを持って旅行していた。世界中の風景があっという間に変わった。気がつけばフィルムカメラを使う人がまったくいない。
この変化を引き起こしたのが日本の技術っていうのが凄い。まあ最初に技術を発明したのはアメリカのコダックだけれど、実際に世界中に広めたのは日本の技術だと言って差し支えはあるまい。デジカメ普及のきっかけになったQV-10は偉大だ。カシオすごい!(GV-20もカシオ)。
それに、どこの国に行っても、旅行者が持ってるデジカメはいまだにほとんどすべてが日本メーカーのものだ。他のメーカーはサムスンを時々見るくらい。
自分が開発した訳じゃあないけれど、自分の国のメーカーが作った製品を世界中の人達が使っているのを見ると、同じ日本人としてはやっぱり嬉しい。なんだか誇らしくなってしまう。
日本メーカーは最近あまり元気がないような印象があるけれども、また何か革新的でおもしろいモノを作ってくれれば嬉しいなあ。
個人的には今、アクションカメラのGoProが気になっている。これもデジカメの新たな使い方を創り出した画期的な製品だろう。一度試してみたいんだよな。面白そう。
ちなみにGoProを作ったのはアメリカのメーカー(Woodman Labs)。日本メーカーも頑張れ~。
モンゴルでカメラを壊した。頑丈なデジカメを持ち歩くようになった
2001年の冬、20歳になった時から海外旅行を始めた。一番最初に訪れた国が中国で、同じ年の夏に二番目に訪れた国がモンゴルだった。
当時はちょうどJ-PHONEの写メールが話題になっていて、カメラ付き携帯電話が普及し始めた頃だ。とはいえ今のiphoneカメラのような高画質は望めず、海外旅行に行くならちゃんとしたカメラを持って行くのが常識だった。
デジカメも普及し始めていたのだが、まだまだ高価。旅行の費用だけでいっぱいいっぱいだった私は、親が持っていたオリンパスのフィルムカメラを借りてモンゴルに行った。そして壊した。
この写真は壊れる前のカメラで撮ったものだ。写真に映っている砂地で手が滑り、カメラを砂の上に落としてしまった。そして、あっさりと壊れた。
あれほど呆気なく壊れてしまうとは思ってもみなかった。カメラっていうのは精密機械なんだなと、その時はじめて実感した。ほんのちょっと手を滑らしただけなのに……。
その後、首都ウランバートルの国立デパート(『デパート』というよりスーパーのような所だったが)で、まったく知らないメーカーの極端に安いカメラを買った。日本円で2,000円もしなかったと思う。日本製のカメラも売っていたのだが、とても手が出る値段ではなかったのだ。
日本に帰ってフィルムを現像してみると、案の定と言うべきか、激安カメラはまともに映してはくれていなかった。
この写真のように、すべてが超ピンボケ写真になっていた。もしかするとカメラと写真の知識がある人だったら、調節してマトモな写真が撮れていたのかもしれない。私は全くのド素人なので、テキトーに撮っていた。そうしたらこのザマだ。せっかくのモンゴルだったのに……。
モンゴルでの悲劇をくりかえさないために、その次の海外旅行からは頑丈なデジカメを持っていった。カシオの『GV-20』だ。
防水、防塵、耐衝撃というタフな性能を持ったカメラ『GV-10』の後継機で、こういうタフでコンパクトなカメラは当時はカシオしか出していなかったように思う。
電池・付属品なしでは250gとそこまで重くはないのだが、単3電池を4本使用するので全部合わせるとなかなかずっしり重くなっていたのを覚えている。
見た目が不恰好になりつつも何とかポケットにも入る大きさで、写真を撮りたいと思ったらすぐ取り出して撮ることができた。
手荒に扱っても全く壊れることもなく、旅行の友として長らく役に立ってくれた。
残念ながら後継機のGV-30は発売されず、その後は色んなメーカーの頑丈カメラを使い歩いた。パナソニック、ペンタックス、オリンパス……。
パナソニックのDMC-FTシリーズは、FT5で終わってしまった。結構好きだったのに。ペンタックスはいつのまにやらリコーになっていた。でもPENTAXブランドでWGシリーズ出してくれていて嬉しい。オリンパスは粉飾決算が記憶に残るが、タフネスデジカメの新作は今でも出ている。ありがたい。
私は使用したことがないのだが、現在はキヤノン、富士フイルム、ニコンもアウトドア用カメラを出してくれているようだ。選択肢が増えているのは素直に嬉しい。
スマホのカメラが発達したせいで、コンパクトデジカメ市場はどんどん縮小しているというが、アウトドア用デジカメはいつまでも無くならないで欲しい。こればかりはスマホでは代わりにならないものだから。
……と思っていたけど、最近は防水・防塵・対衝撃のスマホもけっこうあるんだな。URBANO V03とか。
さすがにデジカメに比べると頑丈さでは劣るだろうけど、いずれはスマホがデジカメを越えて超頑丈になってしまったりするのだろうか。
スマホの構造を考えると難しいか。でも分からないよなあ。フィルムカメラが(ほぼ)絶滅してしまうだなんて、20年前には誰も想像できなかっただろうし、技術の進歩は末恐ろしい。将来どんな風になっているかなんて、誰にだって予想できないよ。
ちょっと実験中
今まで「です、ます調」で書いていたのだけれど、やっぱり「だ、である調」の方がいいかなあと思って今さらながら実験中。
書きやすいほう、読みやすいほうがいいのだろうけれど判断が難しい。
今書いてるみたいな「だ、である調」だとなんだか威圧感があってえらそうな文章にも見えるし、「です、ます調」だとどうも丁寧すぎるような気もする。~です、~です、で終わりがちだし。
そのうち「です、ます」に戻すかもしれないけれど、しばらくは「だ、である」で書いてみたい。
両方をうまく混在させて違和感なく使えたら一番いいのかもしれないけど、どうにも難しいのです……。
アルゼンチンでお金をドブに捨てたこと
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訪れるのが難しくなってしまった国々。風の谷も行きたい!
写真はイランの砂の街、ヤズドのモスク。
「ああ、あの時行っておけばよかった。」そんな風に後悔の気持ちを抱える国があります。昔は普通に訪れることができたのに、今では難しくなってしまった国々。
もちろん、絶対にどんなことをしようが入国できない国、なんていうのは世界のどこにも存在しません。北朝鮮だって入国することはできる。
ただし、リスクが高過ぎるんです。多少のリスクはあれど以前は普通に旅行できていた国が、命がけの覚悟で行かないとならなくなっていたりします。
もっとも分かりやすいのは中東のシリアでしょう。シリアは2011年1月26日から始まったシリア騒乱を境として、旅行で行くような国ではなくなってしまっています。入国することは現在でもできるでしょうが、本当に命がけ。
シリア騒乱以前は治安もそれほど悪くなく、見どころもたくさんありました。世界遺産にも登録された古代都市ダマスカスの旧市街や、古代都市アレッポ、古代都市ボスラ、パルミラ遺跡……。
2011年1月26日より前なら、そういった遺跡を巡っているシリアの旅行記がたくさん見つかります。でも今となっては、もしかしたら、もう一生行くことはできないかもしれません。
国外に脱出できた難民だけで400万人を越えるという状況ですからね……。さすがに私が死ぬまで内戦が続くなんていうことにはならないでしょうが……。
シリア以外では、アフガニスタンも難しい。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件とそれに続く紛争による影響で、国全域が危険。バーミヤン渓谷の石仏がタリバンによって破壊されたり、悲惨なことに大量の餓死者までもが出ています。
同時多発テロから15年以上がたった現在でも、外務省の海外安全ホームページでは「レベル4:退避してください。渡航は止めてください(退避勧告)」。依然として厳しい状況です。
もっともアフガニスタンは同時多発テロ以前からソ連の進行や国内の紛争があったので、もともと安全とは言えない国ではありました。
昔、私がイランを旅行していたとき、アフガニスタンを抜けてきたアイルランド人女性に出会い、少し話をしたことがあります(イランはアフガニスタンの隣国)。2010年の話ですが、その時はちょうどアフガニスタンで選挙が開催されていて、そのおかげで治安が悪くなっていたという話。選挙が無ければそこまで危険ではないという風にその女性は話していました。
テレビやネットの情報と実際に現地を歩いた人の情報にへだたりがある、というのはよくあることです。とはいえその女性一人の体験を聞いて、アフガニスタンは安全だ!となるわけでもない。たまたま運が良かっただけかもしれませんから。
他にも様々な人から聞いた話を総合して推測すると、シリアに比べればアフガニスタンはまだ全然マシそうな感じはします。しかしそれでも十二分に危険。どうしても行かなければならない理由が無い限りは、今はまだ行ってはならない国であるのはたしかでしょう。
シリアやアフガニスタンの他にも、クーデターが起きたニジェール、同じくクーデターが起き紛争中のマリ、カダフィ政権崩壊・リビア内戦以降のリビア、内戦中のイエメン、南スーダンが独立したスーダンなども訪れるのが極めて難しい。
パキスタンなんかも国際情勢のせいか、ビザが取りにくくなってきていますね。昔は日本国外の大使館でもかんたんに取れたようなのですが、現在は日本国内でなければ難しくなってきている様子。
パキスタンは大昔には、バックパッカーやヒッピーの天国などと言われていました。人が優しく、物価も安く、とても旅しやすい国だったから。
それが今では「パキスタンに行く」なんて言うと、自殺志願者かと思われてしまう状態です。テロが頻発している状況ですからね……。ナウシカの「風の谷」のモデルになったという、フンザだけでも行ってみたいのですが、なかなか……。
こうして考えてみると、どうしても行ってみたい国・場所がある場合には、できる限り早く訪れるべき!というのがよく分かります。
定年退職で会社を辞めてから、老後の楽しみに、なんて言っていると、その時にはもう遅い可能性も十分ある。最悪、国そのものが無くなってたりしかねない。そもそも自分が老後って歳まで健康に生きていられる保証もまったく無い。
死ぬときに後悔しまくらないように、行きたい場所は行けるうちに全部行っておきたいですね。
いちばん嫌いな国
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